死に至る不治の病 〜告知すべきか否か〜


 今日はちょっとディープな話。苦手な人は読み飛ばしてください。新聞に、こんな記事が有りました。

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070802-00000116-san-soci

 長岡京市の医師の話だったせいか、京都新聞では一面にでかでかと書いてありました。ALSは、神経細胞が徐々に死んでいき、体が動かせなくなる不治の病で、遺伝と環境の複合的な原因で発症します。治療法はありません。そのうち自発呼吸も出来なくなって死に至るんですが、人工呼吸器を付ければ延命は可能です。
神経医学会では、末期のがんなどと同様、原則的に患者に積極的に告知をして、治療方針を決めるという方針をかかげている。

 今回は、患者が主治医の義理の母親という、特殊な関係ではあるんですが、医師が、本人に対し、病気の告知もせず、人工呼吸器を付けるかどうかの選択権も与えずに、本人以外の家族と話し合っただけ、つまり本人以外の意思で勝手に付けないという判断を行ったのが問題視されようです。
 医師は反発を覚悟の上で、自己決定至上主義の現状に一石を投じたいと、ことの経緯を雑誌に寄稿したそうです。たしかにその医師の予想通り、新聞には、実際に人工呼吸器をつけているALS患者や、ALS患者を持つ家族、法律家やらの反応が載っていたけども、だいたいこんな感じでした。

・医師に裁量権は無い(刑事法学者)
・人工呼吸器によって延命され、よかったと思う患者もいる。勝手に決めないで欲しい。(ALS患者)
・医師や家族の都合による判断は、本人の尊厳無視で許されない事。(ALSの母親を持つ人)

 医師の義母は普段から、人工呼吸器をつけて生きるのは嫌だと言っていたそうで、最後まで、自分の余命を医師に聞くとか、人工呼吸器の使用を求めるとかはしなかったそうです。


 …終末医療の問題って、一律で正しい答えがあるわけじゃないから、本当に難しいと思います。そう、“人生をどうするか”という問題ですからね。科学で割り切れるわけありません。むしろ、“医学もわかるお坊さん”に頼んだ方が、なんとかなるのではないでしょうか。

 私のお世話になった人が最近、がんで亡くなりましたけど、そのときも家族で話し合った結果、最後まで告知はしなかったそうなんです。
 でもきっと、本人は分かっていたんだと思います。普通、自分がどういう状態かくらい分かりますからね。だけど決して苦痛をあらわにすることが無かったそうです。滅多に会わないはずの僕や若いのがちょくちょくお見舞いに来ては、早く元気になってうんぬんと、ポジティブなことをやたら強調し、家族も最大限の時間を割いて看病する。言葉では告知が行われなかったのですが、ほぼ、告知と同じようなことが行われていたと言えるかもしれません。

 本人はそれをどう受け止めたのでしょうかね。今となっては聞く手段がありませんが、最後別れるときに、見舞いに来てくれてありがとうと差し出された手には、感謝の気持ちこそあれ、告知をしない事に対する非難の気持ち無かったと思います。

 結局、家族と患者と医師の人間関係の数だけ、答えもあるかもしれない、ということなんでしょうかね…。