僕の宗教観

最近、僕は自分なりの宗教観を固めつつあります。今日はそれをご紹介。ツッコミ歓迎。


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宗教の自由は大事だと、教科書にはよく書いてありますよね。でも、完全な自由はねえ、ヤバいんですよ。だって、あのオ○ムや、統○教会とか、あんなのに自由をくれてやったらどんだけヤバいか。ちょっと考えりゃわかります。日本に、もしイスラム原理主義が来てたら、もう宗教の自由なんて言ってられなくなりますよ。だってあいつら、アラーの神の文句を言っただけで殺しに来ますからね。僕だったら何回殺されてるか。


なので、宗教の自由なんて言ってられるのは、日本が平和だった証拠なのです。


でも、これをテレビで言ったら、憲法違反だって叩かれるんですよね。日本は、宗教というだけで、まだ思考停止しちゃう人多いですから、そのへん、つまらないです(笑)なので、僕は、個人的に信じてハッピーになられる分にはかまわないのですけど、周りに迷惑をかける宗教は、宗教とは認めません。邪教です。社会の敵です。従って、いつか滅んでもらわないといけません。さすがに焼き討ちしちゃまずいけど(笑)


さて、では日本の宗教について僕の見方を語りましょう。


昔から日本は宗教に寛容でした。もとから有った神道と、後で入って来た仏教との間で、飛鳥時代聖徳太子の時に、どっちが正しいかで争いがありました。そこで神道派は負けちゃいましたよね。物部氏蘇我氏に負けたときのアレです。なので次の奈良時代は仏教全盛期。なんせ国を挙げて大仏様まで作っちゃうくらいですから。でも、ええかげんなもんで、平安時代後期になると、昔ケンカしたのなんかどうでも良くなって、

●●菩薩って、じつは神道でいう●●の神様が別の現れ方をしたんじゃないか?

という画期的なトンデモ理論(笑)が発明されて、神も仏も一緒くたになちゃった*1んですよね。だから、京都の古くからある寺なんか行くと、境内の中に小さな神社があったり、その逆もあったり、もう滅茶苦茶です。お前にはポリシーってもんが無かったのかと当時の人に小一時間、問いつめたいくらいです。


しかも、最初の頃あった厳しい戒律も、ほっといたらどんどん骨抜きになっちゃいますしね。本当なら、坊さんは動物も魚も食べちゃいけないはずなのに、ウサギは一羽、二羽と数えるからアレは鳥だから食べても良いんだ。とか、屁理屈をこねて食べちゃうし、世間を捨てて、性欲も捨てないといけないはずなのに、嫁さんが欲しくなったら、人間は男も女もあるのが普通だから嫁さんを貰っても仏様は許してくれるんだ。嫁さんOKの新しい宗派を作っちゃう*2くらいですからもうなんでもあり。ありえねぇよこんな国(笑)世界でも珍しいですよ。宗教争いがほとんど無いの。何てハートフルな。キリスト教もいつの間にか、仲良く暮らしちゃってますしね。結婚式はチャペル、でもお墓は仏教スタイル、そして毎年神社に初詣で。なんて外国から見たら理解不能です。


だからこそ、外国人は日本に来ると感動してハマるんです。すばらしい!と。あのアインシュタインにも感動されたくらいですからね。もっと自信をもっていい。


だから、べつに日本は神の国だって、なんだっていいと思います。マスコミに何と言われようが、僕は敬愛する巫女さんのためなら、なんべんだって言ってやりますよ(爆)巫女さんがいなくなっちゃったら、あの正月の初詣の癒しが無くなっちゃうじゃないですか。折角タダでお酌してもらえるのに(笑)


あの森首相も、こういうギャグを言ってごまかせばそれほど叩かれずに済んだかもしれませんね(笑)

そんなもんなので、僕は、宗教なんかで対立すること自体くだらないと思います。あんなん所詮、人がつくっt ・・・ゴホン。いや、これは宗教家の前で言っちゃだめですよ。発狂しますから。とにかく、対立するのはくだらないからやめよう。ということですよ。人が幸せになるための宗教なのに、それが元で争いがおこるなんて、馬鹿げています。やっぱり平和がいちばんです。

*1:神仏習合といいます。

*2:確か親鸞上人ですよね