日米の大学院教育の目標の違い
大学院教育で何が出来ると人が育ったと言えるのか - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing
これを読んでまさに自分にも当てはまるなぁと思ったのでトラックバック。
僕の経験からの印象では、日本の大学院の与える"学位"(博士号のこと)の意味は、
- 大変な院試を通ったので知識は教科書レベルで大体知っている、
- 当然のことながら、やってきた研究周りの手技はそれなり以上に自信がある、
- それなりの数の人のセミナーも聴いた、それなりに研究分野については論文も読んできた、
- ある程度、ペーパーを書く経験もした、
- 何度か学会で発表したし、
- まあ長い間研究をやりました、5年以上の苦痛にも耐えられます、
- ラボの若いやつの面倒も多少見た、
ということのように見える。
まさに全部当てはまってます。僕も典型的な日本型で育った感じです。
で、アメリカのresearch universityでは、
- independentな研究のプランニング、遂行能力
- 大学における教育能力
この2つの能力を育てるのを目標に掲げていて、筆者流に書き直すと、
- その学問分野における偏りのない、大学教員ができるレベルの体系的な知識
- その学問分野における現在の重要課題とその背景の包括的理解
- 論理的な批判力、論点、課題推敲力
- 強いanalyticalな文章を書く力。特に論文とグラント申請、、、"Science is a writing business"と言って非常に重視
- 人前での発表、対応力
- 自分で活動を設計し、活動をマネジメントしていく力。これにはアドバイザーや必要な周りの人も含めた調整力も含まれる
- Undergraduate(=賢いが無知な人)にわかりやすいように教え、幅広い質問に答え、導き、encourageする力
以上を全部英語で、(←トドメ・苦笑)ということだそうです。
あー、日頃必要性を痛感していることばかりでなんとも耳が痛いです。全部できたらそら、スーパーマンですわな。僕なら惚れます。あ、そうか。だからあの先輩はモテモテd ・・・ゲフンゲフン。話がそれました。・・・もっと精進しよう